MARUGAME城苑 丸亀市文化協会創立55周年記念特集2005年(平成17年)No.15 丸亀市文化協会
「地雷の本当の怖さはな、すぐ傍で体験したもんじゃなきゃわからんよ。ドォーンと、ものすごい地響きと一緒についさっきまで話をしてた隣の奴が一瞬でいなくなるんだ。周りは真っ赤な肉片だらけでな。戦友の死を悲しむ余裕なんてなかったよ。あるのは凍えるような恐怖だけだった。鼓膜が破けた音のない世界でわしは心の底から思ったよ。一体こんなもん、誰がはじめたんだ...戦争なんてするもんじゃない...。」 父は太平洋戦争でフィリピンに出兵した兵隊だった。生前、ぽつり、ぽつりと口にした父の言葉には当時のままの怒りが込められていた。父はマグロの赤身が食べられなかった。戦争の傷は父の中にいつまでも残っていた。
有史以降、地球上で戦争がなかった期間は、百年余りとも、数年とも言われている。逆に考えると、戦争こそが、人の自然な状態で、平和とはそれぞれの力が拮抗した膠着状態に過ぎないのかもしれない。米ソの冷戦が終結して資本主義と共産主義の争いが終わると、今度は領土、民族、宗教、利権が複雑に絡む争いが始まった。パレスチナ紛争、チェチェン紛争 、9・11米同時多発テロ、アフガン侵攻、イラク戦争...空爆、地雷、テロで被害にあった罪なき一般市民の泣き叫ぶ声が哀しく響く。
歴史は人が選択した結果の蓄積。ナチスドイツのユダヤ人迫害も、ポルポト政権の大虐殺による粛清も、ボスニア・ヘルツェゴビナの地雷も、どれも人が選択した結果に起こった事。どうして戦争はなくならないのか...どうして人はその選択をしたのか...。 その責任を当時の時代背景や政権に押し付けるのは簡単だ。しかし、結果から原因を考えて、犯人を追求することよりも、犠牲を省みず、万能の未来の嘘を信じることよりも、今できる選択の意味と重さを考えることのほうが最優先ではないだろうか。
世界中、どの民族にも、それぞれに文化・伝統・宗教があり、それに誇りを持っている。そしてその民族が互いに共存し、共生して行かなければならない。簡単なことではない。しかし、違いばかりに囚われて己の主義主張ばかりを押し通しても戦争はなくならない。
相互に理解を深め、戦争を避ける糸口が教育にあると私は思う。一国の指導者による排他的教育や、宗教色の濃い一元論的教育や、資本主義の自由競争の中で他者に勝つ能力を磨く教育ではなく、「生まれ、生きて、生かす」という教育―――ヒトとして生まれ持った欲望を肯定しながら、満たされた環境の中でも、満たされぬ環境の中でも、自分とは何なのか、次世代に何を残せるのかを考える教育。その教育を受けたものが、二〇年後、三〇年後、対話を重んじる争いのない社会を生んでくれると私は信じている。
戦後六十年、日本は戦争を避けてきた。それに伴う多くの批判や矛盾があることも分かっている。しかし、それでも私は日本が戦争を起こさなかった事実を評価したい。戦争で最愛の人を亡くし、二度と感じることのできないその温もりを想う度に実感する。
物理的に可能であることは常に起こり得る。これからもこれまで以上に悲惨な結果が待っているかもしれない。しかし、光は闇の対極にあるのではなく、闇を闇と見つめ続ける姿勢にある。すべてをあきらめて微笑むより、いつも何かを憂いて生きてゆこうと私は思う。